O Ouvido de Maxwell | pare, escute, sinta

ポルトガルの世界遺産

【世界遺産】

  • アングラ・ド・エロイズモ
  • アングラ・ド・エロイズモ
  • アングラ・ド・エロイズモの町の中心地区
  • ポルトガル・アゾレス諸島にある都市である。アングラ・ド・エロイズモ自体は、アゾレス諸島で第3の島であるテルセイラ島の南西部を占める。テルセイラ島の東半分を占めるプライア・ダ・ヴィトリアと隣接する。
  • 英名:Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores
    仏名:Centre d'Angra do Heroismo aux Açores
    登録区分:文化遺産
    登録年:1983年
  • ジェロニモス修道院
  • ジェロニモス修道院
  • マヌエル様式の最高傑作
  • ポルトガルの首都であるリスボンのベレン地区にある修道院。マヌエル様式の最高傑作ともいわれ、大航海時代の富をつぎ込んで建築された。付近には同じく世界遺産であるベレンの塔や発見のモニュメントが存在する。2007年12月13日に、リスボン条約の調印式が行われた場所でもある。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え1502年にマヌエル1世によって着工され、1511年に回廊など大部分が完成したものの、その後、マヌエル1世の死やスペインとポルトガルの同君連合による中断等もあり、最終的な完成には300年ほどかかっている。その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われた。
  • 英名:Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon
    仏名:Monastère des Hiéronymites et tour de Belém à Lisbonne
    登録区分:文化遺産
    登録年:1983年
  • ベレンの塔
  • ベレンの塔
  • 世界一周の偉業記念
  • リスボンのベレン地区にある塔であり世界遺産に登録されている。16世紀にマヌエル1世によってヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念して作られたテージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞である。建築様式はマヌエル様式である。
  • 英名:Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon
    仏名:Monastère des Hiéronymites et tour de Belém à Lisbonne
    登録区分:文化遺産
    登録年:1983年
  • バターリャ修道院
  • バターリャ修道院
  • ポルトガルの独立を象徴する建築物
  • 、ドミニコ修道会の修道院であり、ポルトガル・レイリア地方の都市であるバターリャにある。ポルトガルにおける後期ゴシック建築の傑作であり、マヌエル様式も用いられている。バターリャ修道院は、切妻屋根、尖塔と小尖塔、控え壁によって多くの人々を驚嘆させる。バターリャ修道院は、ポルトガルの独立を象徴する建築物であり、1983年、ユネスコの世界遺産に登録された。正式名聖母マリア修道院(ポルトガル語表記でMosteirode Santa Maria da Vitória)で知られるバターリャ修道院は、1385年8月14日、バターリャ近郊で行われたアルジュバロータの戦いで、カスティーリャ王国軍をジョアン1世が打ち破ったことを聖母マリアに感謝するために建設が開始された。アルジュバロータの戦いは、1383年からカスティーリャ王国とポルトガルとの間で展開された戦争において、ポルトガルの勝利を決定付けた戦いとして知られ、バターリャとはポルトガル語で「戦闘」を意味する。修道院は、2世紀にかけて建設された。建設が開始されたのは、1386年であり、1517年にある程度の完成を見せるが、その間に、ポルトガルの国王は、7人が在位したことになる。
  • 英名:Monastery of Batalha
    仏名:Monastère de Batalha
    登録区分:文化遺産
    登録年:1983年
  • トマールのキリスト教修道院
  • トマールのキリスト教修道院
  • 12世紀にテンプル騎士団によって建設
  • ポルトガルの都市・トマールにある修道院であり、12世紀にテンプル騎士団によって建設された。14世紀にテンプル騎士団に対して解散命令が出た後、ポルトガルに存在したテンプル騎士団は、キリスト騎士団へと改編され彼らが管轄することとなった。キリスト騎士団は、大航海時代 のポルトガルを支え、ポルトガル海上帝国の礎を築いたことで有名である。 1983年に、ユネスコの世界遺産に登録された。トマールのキリスト教修道院は、ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築といった様々建築様式が融合した建築物である。
    1160年に、戦略上の拠点として、トマールに城塞が建設された。ナバオン川に近い丘の上に建設された城塞は、城壁と地下室を兼ね備えていた。キリスト教修道院の地下室は、城塞における住居と司令塔の役割を果たし、テンプル騎士団によって紹介されたポルトガル最古のものである。トマールの町が建設された時点で、ほとんどの住民は、この要塞の中に居住していたとされる。
    円堂:テンプル騎士団の紹介によって建設されたもう一つの特筆すべき構造物は、円堂(ポルトガル語でRotunda)である。12世紀に建設された円堂は、外側から見ると16角形の構造をしており、鐘楼をあわせて持つ。円堂の内部は、8角形の構造をしており、周歩回廊へとつながるアーチと結ばれている。前述のように、円堂は、エルサレムのオマール・モスクや聖墳墓教会をモデルとしたロマネスク建築である。
    柱頭:ロマネスク様式の性格を色濃く残しており、植物と動物のモチーフを描写している。柱頭の様式は、同時代に建設されたコインブラの旧大聖堂の影響を受けている。
    円堂内部:シック様式/マヌエル様式の彫刻と絵画で飾られており、増築は、1499年にマヌエル1世が命じた。中央部の8角柱と周歩回廊の壁面は、ゴシック様式の天蓋で覆われた聖者と天使の彫像で彩られ、一方で、キリストの一生涯を描写したゴシック様式の絵画とパネルで周歩回廊の壁と天井は彩られた。
  • 墓の回廊と沐浴の回廊:エンリケ航海王子は、ゴシック様式の身廊を修道院に増築した。墓の回廊(ポルトガル語でClaustro do Cemitério)と沐浴の回廊(ポルトガル語でClaustro da Lavagem)である。墓の回廊は、騎士団に所属する騎士と修道僧のために建設された墓所であり、優美な2本の円柱の柱頭は、植物をモチーフに描写していると同時に16世紀に作られたタイルで壁は飾られている。また、マヌエル様式のヴァスコ・ダ・ガマの兄弟であるディオゴ・ダ・ガマの墓もある。沐浴の回廊では、かつて修道僧がここで沐浴をしたことから、その名前がつけられた。
  • サンタ・バルバラの回廊:サンタ・バルバラの回廊(ポルトガル語でClaustro de Santa Bárbara)は、16世紀に作られた。テラスの上部には、有名なマヌエル様式の窓がある。マストやロープ、鎖といった大航海時代をモチーフとして用いられている。
  • ジョアン3世の回廊:ジョアン3世の時代に建設が開始された回廊がジョアン3世の回廊(ポルトガル語でClaustro de D. João III)ある。1557年に建設が開始され、完成したのは、1591年のフィリペ1世の時代である。
  • 英名:Convent of Christ in Tomar
    仏名:Couvent du Christ à Tomar
    登録区分:文化遺産
    登録年:1983年
  • エヴォラ
  • エヴォラ
  • 学芸の都
  • ポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町である。人口は、55,619人。面積は、1307.0平方キロメートルであり、スペイン国境に近い。旧市街は1986年に、ユネスコの世界遺産に「エヴォラ歴史地区」の名で登録された歴史ある街である。ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には、大学もおかれた学芸の都でもある。1584年9月には、伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄った街でもある。
  • 主な世界遺産物件
    アグア・デ・ラプラタ送水路:
    1531年から1537年にかけて、ジョアン3世の手によって建設された送水路。ベレンの塔を設計したフランシスコ・デ・アルーダが9kmに及ぶ送水路を設計した。この送水路は、ジラルド広場が終点である。
    エヴォラ大聖堂:
    1280年から1340年の間に主に建設されたエヴォラの誇る大聖堂。1335年頃に作られた使徒の像を伴った入り口と美しい教会堂の身廊(en:Nave)と回廊を持つ。(十字形教会堂の左右の)翼廊のチャペルの1つは、マヌエル様式であり、メイン・チャペルは、バロック様式である。また、パイプオルガンと聖歌隊用の部屋はルネサンス様式である。
    エス・ブラス・チャペル:
    1480年に建設されたムデハル建築とゴシック建築が融合した一例である。
    サンフランシスコ教会:
    15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて建設されたゴシック様式とマヌエル様式が混合した建築物である。長い身廊は、ゴシック建築末期の傑作である。多くのチャペルがバロック様式で装飾されている。
    ヴァスコ・ダ・ガマ邸宅:
    1519年から1524年の5年間、ヴァスコ・ダ・ガマは、エヴォラに滞在していた。マヌエル様式の回廊とルネサンス様式の絵画が現存している。
    カダヴァル公爵邸:
    14世紀に出来た建築物で、17世紀にファサードは改装されている。
    ロイオス教会:
    ディアナ神殿の隣にある15世紀に建築された教会。教会と回廊はゴシック様式を採用し、内壁はアズレージョ(en:Azulejo)と呼ばれるタイルワークで飾られている。
    Ladies' Gallery of Manuel I's Palace:
    マヌエル1世によって建てられた邸宅。ゴシック様式とルネサンス様式が融合した建物であり、ヴァスコ・ダ・ガマがここで、インドへの航海を任命されたと伝えられている。
    ディアナ神殿:
    1世紀に皇帝アウグストゥスを祀るために作られた神殿。
    エヴォラ大学:
    前述の通り、1559年に建設されたイエズス会の神学校を起源とする。16世紀のマニエリスムの教会と17世紀から18世紀にかけて建設された巨大な回廊がある。
    ルネサンス時代の泉:
    1556年に作られたルネサンス様式の泉。
    ジラルド広場:
    街の中心部であり、ドゥアルテ1世が建設したゴシック建築の建築物が現存している。
    アルメンドレス環状列石遺跡:
    エヴォラから15キロメートルのところにある巨石記念物
    ザンブジェイロ巨石遺跡:
    エヴォラから10kmのところにあるドルメン。
  • 英名:Historic Centre of Évora
    仏名:Centre historique d'Évora
    登録区分:文化遺産
    登録年:1986年
  • アルコバッサ修道院
  • アルコバッサ修道院
  • ポルトガル最古のゴシック様式をもつ教会
  • ポルトガル北部アルコバッサの町にあるシトー会修道院。 ポルトガル語の正式名称はMOSTEIRO DE SANTA MARIA DE ALCOBAÇA 。 ポルトガル最古のゴシック様式をもつ教会をはじめ中世の建築群がそのまま残り、1989年、ユネスコの世界遺産に登録された。ポルトガル初代国王アフォンソ1世の所願により1178年に建築が始められた。フランスのシトー派の影響を強く受けている。修道院の正面ファサードは18世紀に改築されたバロック様式だが、内部はゴシック様式が残り、強い精神性を感じさせる。南の翼廊にはポルトガル文学で悲恋が歌われるペドロ1世と愛妾イネスの墓が並んでいる。
  • 英名:Monastery of Alcobaça
    仏名:Monastère d'Alcobaça
    登録区分:文化遺産
    登録年:1989年
  • シントラ
  • シントラ
  • ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光拠点
  • ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。かつては王室の夏の離宮も置かれ、王宮とペナ宮殿はユネスコの「シントラの文化的景観」の名前で世界遺産に登録されている。シントラは、すでに11世紀のアラブ人の地理学者であるアル・バクルによる記述が残っており、後には、詩人バイロンが「エデンの園」と称賛した。8世紀ないしは9世紀には、ムーア人が、ムーアの城跡(カステロ・ド・ムーロ)を建設したとされる。アフォンス・エンリケスによるシントラのポルトガル併合は、1147年のことであり、このとき、町の大部分の城砦が破壊された。1493年、クリストファー・コロンブスが、スペイン国王のもとへ航海を続けた際に、突風に巻き込まれ、シントラの岩壁に避難したこともある。ポルトガル国内で、安全な港を探すことができずに、このような事態に陥り、他に選択の余地もなく、シントラからリスボン港へ向かった。
  • 英名:Cultural Landscape of Sintra
    仏名:Paysage culturel de Sintra
    登録区分:文化遺産
    登録年:1995年
  • ポルト
  • ポルト
  • 同国屈指のグローバル都市
  • ポルトガル北部の港湾都市。人口約263,000人。リスボンに次ぐポルトガル第二の都市。同国屈指のグローバル都市であり、ポルト都市圏では、人口は約160万人を数える[1]。英語では伝統的にオポルト(オポートウ,Oporto)とも言う。聖グレゴリウス聖堂、大聖堂、ポルサ宮、聖フランシスコ聖堂など市街地はポルト歴史地区として1996年に世界遺産に登録された。
  • 歴史:ポルトの創設は5世紀より以前にさかのぼり、ローマ帝国時代からの港町ポルトゥス・カレ(ラテン語でPortus Cale、「カレの港」の意)に起源をもつ。だが、ローマ以前のケルト文化の名残であるシタデルも市外の中心にも残存している。ローマ時代の周辺をコンダドゥス・ポルトカレンシスといい、ここに成立した王国が、ポルトガル王国となった。ポルトガルの名はこれに由来する。ポルトを含む一帯は、イスラーム勢力に占領されたこともあったが、12世紀フランス王の一族であるアンリ・ド・ブルゴーニュがレコンキスタでこの地を奪回した。18世紀から19世紀にかけて、ポルト港から特産ワインがイングランドに盛んに輸出され、英語でポートワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれて有名になった。
  • 英名:Historic Centre of Oporto
    仏名:Centre historique du Porto
    登録区分:文化遺産
    登録年:1996年
  • コア渓谷とシエガ・ベルデの先史時代の岩絵遺跡群
  • コア渓谷とシエガ・ベルデの先史時代の岩絵遺跡群
  • 旧石器時代の岩絵
  • コア渓谷の岩絵群:1980年代後半に、ポルトガル北東部のヴィラ・ノヴァ・デ・フォス・コア(Vila Nova de Foz Côa)で線刻芸術が発見された。この遺跡はコア川(Côa river)流域の渓谷に位置し、1万年から2万年前の馬、牛、他の動物、人物、抽象的な図像などの数千に及ぶ線刻画から成っている。1995年からは、考古学者のチームが、この先史時代の岩絵群の研究と分類を続けており、いくつかのエリアで観光客を迎え入れるために、公園も設定された。
  • 岩絵:発見された岩絵は主にウマ、ウシ、ヤギなどの動物を表したもので成り立っている。人物画や抽象的な図像も存在する。それらは、渓谷沿いの切り立った断崖に線刻画の技法を使って描かれている。それらの大きさはまちまちで、15 cm から180 cm まである。太線で描かれているものもあるが、多くは細く流麗な線で描かれている。これらの線刻画は、1995年時点の研究では、20000年前にまで遡ると算定されている。
  • 英名:Prehistoric Rock-Art Sites in the Côa Valley and Siega Verde
    仏名:Sites d'art rupestre préhistorique de la vallée de Côa et de Siega Verde
    登録区分:文化遺産
    登録年:1998年
  • マデイラ島の照葉樹林
  • マデイラ島の照葉樹林
  • 遺存型照葉樹林
  • ポルトガルのマデイラ諸島の主島であるマデイラ島に分布する照葉樹林原生林。ヨーロッパを包み込んだ第四紀更新世における氷河の影響を辛うじて免れた、アトラト山脈北稜(モロッコ・アルジェリア領内);カナリア諸島のゴメラ島のガラホナイ国立公園(世界遺産)を中心とした区域、ラ・パルマ島(特に北東部)、テネリフェ島(北部の狭い区域);アソーレス諸島の一部の島々と並び、氷河期以前のヨーロッパにおける植生分布の典型として貴重である。太平洋周縁と異なり、氷河気候が卓越した中で照葉樹林がほとんど残らなかった大西洋周縁の照葉樹林原生林としても非常に重要。このため正式には「遺存型照葉樹林」と呼ばれている。なお、ポルトガル語名の「ラウリシルヴァ」(スペイン語名「ラウリシルバ」)は、「月桂樹林」と誤訳されることが多いが、実際は月桂樹が優占する単相林ではなく、多様な常緑広葉樹及び常緑針葉樹から成る森林である。
  • 英名:Laurisilva of Madeira
    仏名:Forêt Laurifière de Madère
    登録区分:自然遺産
    登録年:1999年
  • アルト・ドウロ・ワイン生産地域
  • アルト・ドウロ・ワイン生産地域
  • 自然環境を上手に生かしたブドウの段々畑
  • ドウロ川の上流に位置し、2000年、ユネスコの世界遺産に登録された。アルト・ドウロ地方のブドウ畑は、斜面を段々畑にしてきた。段々畑を支える石壁の総延長は、数万kmに及ぶ。ここで産出されるワインは、ポート・ワインとして世界的に有名でもある。総面積は、25万haに及び、中核地帯24,600ha、緩衝地帯225,400haから構成される。メザオン・フリオ、ペゾ・ダ・レグア、サンタ・マルタ・デ・ペナギアオン、ヴィラ・レアル、アリジョ、サブロサ、カッラゼーダ・デ・アンシアイス、トレド・デ・モンコルヴォ、ラメーゴ、アママル、サン・ジョアン・ダ・ペスケイーラ、ヴィラ・ノヴァ・デ・フォス・コアの13自治体にまたがる世界遺産である。
  • 近年の考古学調査に基づくとドウロ川流域には、古代より人々が住んでいた形跡があると判明している。そのことは、ドウロ川支流のコア渓谷で発見された先史時代の岩壁画から明らかである。また、ミランデーラの近くにあるブラコ・ダ・パーラ考古遺跡では、3000年前から4000年前のブドウの種が発見されてもいる。しかし、この地域でワインの生産が本格的となったのは、3世紀から4世紀にかけてのローマ帝国時代と推測されている。1世紀には、ローマ人は、アルト・ドウロ地方での農業を展開する上で、ブドウやオリーヴといった地中海式気候に適した植物を導入した。ローマ人は、鉱泉をふんだんに利用し、鉱石を採掘し、道路や橋を建設してきた。19世紀にヨーロッパを席巻したフィロキセラの流行はポルトガルも無縁ではなかった。フィロキセラで被害を受けたブドウ畑を再生させるために有効な手段は、アメリカから台木を導入し、接ぎ木をすることであり、1876年に、この地域でもアメリカからの台木の導入が実施されている。その結果、この地域の景観は回復すると同時に、ポート・ワインの生産も再開されるようになった。
  • 英名:Alto Douro Wine Region
    仏名:Région viticole du Haut-Douro
    登録区分:文化遺産
    登録年:2000年
  • ギマランイス
  • ギマランイス
  • ポルトガル発祥の地
  • 地方自治体としてのギマランイスは、2001年、16の行政区を合併し、5万人が新たにギマランイス市民となった。その結果、面積241.3平方キロメートル、人口161,876人の地方自治体に発展した。「エスプレッソ」紙による調査で、ギマランイスはポルトガルで2番目に住みよい環境の町であると評価された。2012年の欧州文化首都になることが決定している。
    歴史
    ギマランイスの名前は、868年に最初のポルトゥカーレ伯領を築いたヴィマラ・ペレス伯爵の名前に由来する。1095年、ブルゴーニュ家出身のアンリ・ド・ブルゴーニュ(エンリケ)は、カスティーリャとレオンの王アルフォンソ6世の娘テレサと結婚し、ポルトゥカーレ伯に封じられた。1109年6月25日、エンリケとテレサの息子アフォンソ・エンリケスがギマランイスで生まれた。サン・マヌーデの戦いの後、ポルトガルはカスティーリャ=レオン王国からの独立を宣言し、後に初代国王アフォンソ1世となる。
  • 英名:Historic Centre of Guimarães
    仏名:Centre historique de Guimarães
    登録区分:文化遺産
    登録年:2001年
  • ピコ島
  • ピコ島
  • 最高峰火山ピコで知られるアゾレス諸島の島
  • ポルトガル領。中部群島に属し、アゾレス諸島第2の面積をもつ。島の首府はマダレナ。面積は446km²。島内の人口は約1万5千人。ピコ島はサンジョルジェ島から南に17.5km、ファイアル島から西に7kmに位置する。島は全体に細長く、長さ42km、幅はもっとも広いところでは15kmになる。火山島であり、地形は急峻である。
  • 火山ピコ山:島の南西部に位置し、標高は2351mでポルトガルの最高地点である。成層火山である。最後に観察された噴火は1963年のものである。著名な噴火には、1562年から64年にかけての噴火、1718年および1720年の噴火がある。これらの噴火による溶岩流の跡は、10km以上に達し、現在でも見ることができる。
  • 1980年まで捕鯨基地として使われていた。アゾレス諸島は大西洋の大陸棚の縁に位置し、水深の深いところに近かったため、漁業基地に好適であったためである。現在の主な産業は、観光業、漁業、造船、ワイン製造である。2004年、「ピコ島のブドウ畑文化の景観」はユネスコの世界遺産に登録された。ピコ島で産するワインは、ピコ・ワイン (Vinho do Pico) としてポルトガル政府の原産地統制 (VLQPRD) の対象であり、優れた品質で知られる。
  • 英名:Landscape of the Pico Island Vineyard Culture
    仏名:Paysage viticole de l’île du Pico
    登録区分:文化遺産
    登録年:2004年